Love & Fiction — Kiri Yako

霧島夜子の愛の風景

Column — 倦怠期・夫婦関係

倦怠期はなぜ来るのか
——夫婦関係が冷える本当の理由

「なんかもう、夫のことが分からなくなった」と気づいたのは、結婚してから7年目の秋でした。嫌いになったわけでも、浮気があったわけでもない。ただ、同じ空間にいるのに、どこか遠い場所にいるような感覚が続くようになっていた。

あれが倦怠期というものだったと、今ならわかります。でも当時は「これが普通の夫婦なのか、それとも私たちだけがおかしいのか」と、ずっと宙ぶらりんのまま過ごしていました。

霧島夜子 / 2026年9月

倦怠期は「愛が冷めた」ことではない

倦怠期という言葉を聞くと、多くの人が「気持ちが冷めた」「もう終わり」という意味に受け取ります。でも私が経験したのは、そうではありませんでした。

夫のことは好きでした。一緒にいると安心した。ただ、何かが「終わっている」感じがした。正確に言うと、二人の間で「新しい何かが始まること」がなくなっていた。毎日が同じテンポで流れていき、驚きも緊張もない。それが積み重なると、人は「退屈」ではなく「孤独」を感じるようになります。

倦怠期の本質は、愛情の消失ではなく、
「この人と私の間に何かが起きる可能性」が
感じられなくなることだと思います。

倦怠期が来やすいタイミング

結婚3〜4年目と7〜9年目は、倦怠期が来やすいと言われています。前者は「新婚の高揚感が落ち着くタイミング」、後者は「生活が完全にルーティン化するタイミング」です。

私の場合は後者でした。子どもはいない。共働きで、生活は安定している。毎週末は同じ流れで動いている。不満はないのに、「これでいいのか」という問いが頭を離れなくなる。あの感覚を、今でも覚えています。

生活が安定していることは、本来は喜ばしいことのはずです。でも人間は、安定の中に「変化の予感」がないと、どこかで息苦しくなる。倦怠期は、その息苦しさが形を持ったものかもしれません。

「話し合い」では解決しない

倦怠期について調べると、「パートナーとちゃんと話し合いましょう」というアドバイスがよく出てきます。でも私には、それがすごく難しかった。

何を話し合えばいいのか、わからなかった。「なんか最近つまらない」とは言えない。「もっと構って」とも言いたくない。問題が具体的でないから、言語化ができない。「話し合い」というのは、問題が明確なときには有効ですが、倦怠期の多くは「そもそも何が問題なのかわからない」状態です。

だから当時の私は、代わりに自分の中で考え続けていました。日記を書いたり、散歩をしたり、一人でいる時間を意識的に作ったりした。夫との関係ではなく、自分自身と向き合う時間を増やした。それが、結果的には良かったと思っています。

倦怠期の「その後」について

私たちの倦怠期は、ある日突然終わりました。どこかで何かが変わったという感覚ではなく、気づいたら「あの息苦しさがなくなっている」という感じでした。

きっかけが何だったかは、正直、今でもよくわかりません。夫が急に変わったわけでも、私が何か決意したわけでもない。ただ、それぞれが自分の中で何かを手放して、また少し近づいた——そんな感覚です。

夫婦関係は、一定ではなく、波のように変化するものだと思います。倦怠期はその「引き」の時期であって、永続するわけではない。もちろん、そのまま離れていく夫婦もいます。でも「今が倦怠期だ」と気づいていれば、それだけで少し楽になれることもあります。

倦怠期の中にいるとき、「これで終わりかもしれない」と思うことがある。
でも、そう思える関係は、まだ終わっていない。